さらりとな。日々の暮らしで出逢ったアレコレ。

大抵のことは上手くできないけれど、前向きです。

些事かげん「広島平和記念資料館」

2019年4月25日、広島平和記念資料館がリニューアルオープンした。

5月1日は、令和時代の幕開けと、10連休中ということもあってか、

長蛇の列ができていた。

 

広島はGWの5月3日から5日までの間、

「フラワーフェスティバル」という祭りで賑わう。

メイン会場となる平和公園前の道路は、交通規制が始まるので、

その前に行ってみようと、朝早く出かけることにした。

 

並んではいたが、1日の比ではなかった。

チケットを買って、案内に従いエスカレータで東棟の3階へ。

 

入って最初の展示物からぐっと引き込まれた。

 

大きな円形の中に、被爆前後の広島の市街地映像を

立体的に映し出したものだった。

流れる川、歩く人々、行き交う電車や車、そして蝉の声…

戦時中とはいえ穏やかな、

8月6日、朝の広島の風景が広がっていた。

 

 そこへB29がやってくる。

時計の針は8時15分を指そうとしていた。

一瞬の静寂、そして閃光、爆音と共に真赤な炎に包まれて、

焼野原となった広島。

流れるような一連の映像が見ている私達にリアルに迫る。

 

このキノコ雲の下にいた人たちは……。

そんな思いを抱かずにはいられない。

 

そしてその思いを抱いたまま館内を巡る。

 

前回と違う、と感じたのは、被爆者の遺品や被爆の惨状を示す写真や

資料に、住所や氏名、爆心地から何メートルにいたかなどをはじめ、

その時の家族の状況、どこで何をしていたときに被爆したのか、

被爆後の生活がどんなに過酷だったか、

今まで以上に詳細な情報を記載していたことだった。

 

私は長崎の両親から原爆の話を一度も聞いたことがない。

話せない、思い出したくない、そう察してきた。

だから、遺品の横に「寄贈」と記したものを幾つも見た時は、

長くしまっておいた悲しい記憶を、

今回のために掘り起こされたのであろうか、と考えた。

そうまでして「伝えなければならないこと」なのだ、

そんな風に感じてしまった。

 

印象深かったのは、数々の写真。

見るのも辛い被爆後の体、誰にもどうにもできない暮らし、

真っ黒こげの三輪車、乗っていた坊やを喪った父親の無念…。

 

家族の消息を訪ねる伝言だろう、壁一面に書かれた住所や名前に

ところどころ大きな✖印があったのが、何ともいえなかった。

 

もし自分だったら、家族だったら、と思うと胸が締め付けられる。

初めは感想を話しながら見ていた人も、次第に言葉を失っていく。

無言の、強烈なメッセージを私達は目の当たりにしていた。

まさに「被爆の実相」がダイレクトに伝わってきたのだ。

 

展示物をよく見ようと、人々の足が止まり、

次第に館内の動きが緩慢になって、混雑しはじめた。

私も顔を左右に向けながら人垣を避け、展示物の説明文を追った。 

進むにつれ、館内の色調が次第に明るくなっていくことに気づく。

 

1945年8月6日から始まるこの館内の「時空」は、黒からグレーへ、

そして平和への祈りと希望を表す白、そんな配色で構成されていた。

 

展示も終わりに近づく。

「世界の平和をつくる」コーナーでは、幾つものタッチパネルがあって

平和への取り組みをはじめ様々な情報が、子供達にもわかりやすい

ようにと工夫をこらしてある。

壁面には、過去に来館されたノーベル平和賞受賞者のメッセージが、

一つ一つゆっくりと投影されていた。

 

それにしても、ここまで詳細な記録を明確にできたのはすごいと思った。

 資料館の地下にある学芸課を訪ねると、休日だったが当番の女性の方が

いたのでその理由を聞いてみた。 

 

何でも、生存している被爆者の方々が多かった数十年前までは、

その「実際」を知っていることから、詳細に書いてはこなかったそうだ。

だが戦後73年が経とうとする今は、生存者の方々も次第に減りつつあり、

確かな証拠や記録を後世に伝えて行くという趣旨(私には使命感と聞こえた)

のもと、職員達で時間をかけてより丁寧に詳細を追ったのだという。

「リニューアル後の方がより身近に感じて下さったのなら、

 私達が目指したところに 近づいたかなと思い、嬉しいです」

という言葉が印象深かった。

 

 全てを見終えて、出口に着くと2時間が経っていた。

ミュージアムショップ周辺では、デモンストレーションをしていた

NHKの職員と思しき人に声を掛けられる。

被爆者の描いた絵や資料をメディアに記録し、8Kで鮮やかに再現できるのだと

実際の映像を見ながら説明してくれた。

劣化していく数々の遺品も、こうすることで後世へと伝えることが出来るし、

クラウド上で見られるようにすれば、資料館に来なくても、世界中の人々に

発信できるのだ。そのような試みも計画したいと話してくれた。

 

確かに、世界中に知ってもらいたい。

でもできれば、やはりこの広島に来てほしい。

リニューアルした資料館を見たからこそ、そう思った。

 

4月20日、新元号「令和」の考案者とされる中西進氏が

NHKの取材に対して、次のようにコメントしていた。

 

 『令』に込めた期待は大きいです。『令』には尊敬の気持ちがあり、人間の中で一番大事です。それがないと成長しない。『令』を見つめることで、人間はもっと大きく豊かな自己を獲得でき、それでみんな仲良くしましょうとなります。すごくいい目標ができたと思います」 

 

 

令和の時代も平和であってほしい、

戦争を知らない私達、自分のできることは何だろう…。

あなたならどんなことを考えますか。

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平和公園内のバラ 「アンネフランクの形見」が綺麗に咲いていた。 

 

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 平和記念資料館へと続く行列。5月5日 

 

 

広島平和記念資料館

hpmmuseum.jp/

〒730-0811
広島県広島市中区中島町1-2
電話:082-241-4004(総合案内)